Vol.14 本を手にするという魔法
日々プログラミングスクールと学習塾を運営していると、色んな先生方同様に様々な気付きなどがあります。
今回はそのうちの1つ、「教育」よりも「学習」についてもっと深く考える必要があるのではないか、ということについて書いてみたいと思います。
きっかけは、ある一冊の本
その考え方が大好きで、ちょくちょく読んでは自分の考え方をアップデートするために使用する本の中に、オードリー・タン氏の著書『何もない空間が価値を生む』があり、その中にはこんな趣旨の言葉があります。
教育とは「どのように教えるか」に焦点が当たるが、
本当に重要なのは「どのように学ぶか」である。
オードリー・タン『何もない空間が価値を生む』
この一文は深く納得すると同時に、自分の中で大きな気づきとなるものでした。
オードリー・タン氏の著書
「教育」から見える景色、「学習」から見える景色
「教育」の視点では、子どもたちを理想の姿に導くために、環境や教材、指導方法が設計されます。これはこれで大切な営みです。
けれど、「学習」の視点に立つと、出発点がまったく変わってきます。
それは、「この子はどうやって学ぶのか?」という問いから始まるのです。
ここでは、教師は“教える人”ではなく、“学びを支える人”としての役割を持ってきます。
先生が辞書だった時代は終わった
かつては、先生こそが知識の象徴でした。子どもたちの前に立ち、お手本としての答えを示すことが求められていました。
でも、いまは違います。
ネットやAI、YouTubeなどから、子どもたちは多様な情報と出会っています。そして、ある種の「人生の哲学」さえも、親や教師に教わる前に、彼らなりですがすでに持っていたりします。
そんな時代に、「先生の言うことこそが標準的で正解であろう」とするならば、きっと子どもたちとの距離は離れていく一方なのでしょう。
だって、すでに今の時代の先生は「子どもたちよりも少しだけ早く勉強をしただけの古い時代の人」でしかありませんので、「今の時代のことを知らない」と思われているからです。
なので、むしろ先生の方が「一緒に学ぶ仲間」としての姿勢を持つことが大切なのではないでしょうか。
「話を聞いてもらう」ためには「話を聴きに行く」
現代の子どもたちは、自分の声に耳を傾けてくれる人をちゃんと見て、よく判別しています。
先生のほうで「これこそが普通で標準なのだ」と語り始める前に、生徒の話を積極的に「聴きに行く」ことがカギになりそうです。
そうすれば、子どもたちは「この先生となら一緒に学びたい」と、学びの伴走者として認識してくれます。
(まとめ)教える側が変われば、学びも変わる。
これからの・・・・というよりも少し前からすでに日本でも学びの環境において、学びの“支援者”としての先生が、より一層求められていますね。
教える側が変われば、学びも変わる。
学びが変われば、子どもたちの未来はもっと自由で、しなやかにもなる。
そんな願いをこめて、これからも「教育」ではなく「学習」から出発する場づくりをしていきたいと思います。